「マイ仏教」を読んで。  6年4組 菊池隼人


坊主頭に作務衣を着ていると、よく「お坊さんですか?」と聞かれる。父親の命日がゴールデンウィークの辺りなので、連休の予定を聞かれ「法事で実家に帰るんですよ」と答えると、「実家ってお寺さんなの?」と聞き返される。

何もかもが坊主頭故。勘違いされるコトはしばしば。

「別に出家もしてませんし、仏道にも入ってません」とわざわざ否定するのも面倒なので、坊主頭は「バリカンで楽に出来るから」、作務衣に関しては「コスプレです」と答えるようにしている。

ただ、だからと言って「無宗教」ってコトではない。

ニヒリズムの延長線にある「無宗教」。たまに「死んだら葬式もいらないし、死骸なんてどうでもいい」という思想を語る人がいるが、もしソイツが死んだ時、残されたコチラは大いなる迷惑を被る結果になる。

アンタがどう思おうが勝手だけど、魂の抜けたアンタの肉体をそのまま放っておくワケにもいかないのである。

邪魔だし、腐るし、虫もわく。そんな「廃棄物」はさっさと処理しないとならん。そうなった時、いくら「無宗教」とは言っても、一応は日本国の法律に則って火葬し埋葬しなきゃならんのだよ。

魂の抜けた肉体に、生前の思想だとか思い込みなんて通用しない。通例に従い、こっそり弔われるだけ。

で、みうらじゅんさんの「マイ仏教」を読んだ。そう言えば、まあ本心なのかカッコつけなのかはわからんけど前述のようなニヒリズム的無宗教観を語る輩がいたナ、と思い出した。

「無宗教がカッコいい」という観念はどこから来るのか?

ジョン・レノンさんが唄う「天国も地獄も無い」「イエスもブッダも信じない」ってコトでいいのか?

ただ単に「基本的通念から逃れたいだけ」なんてのは、そりゃ世に言う「中二病」みたいなモノじゃないのか?

そんなコトを考えていたら、やはり「仏像ブーム」の立役者の著者は見抜いている。

『仏教とは「自分さがし」ではなく「自分なくし」』

「本当の自分」「自分らしい自分」なんてのはない。幻想だ。「自分さえ良ければ」なんてのはもってのほか。「自分なくし」こそが修行の礎ではないか・・・

頭でっかちな宗教学者や、現場を知り尽くした僧侶などにはなかなかないような、どこか「衆生救済のための説法」という仏教の原点に立ち返った考え方で、妙に納得さられた。

みうらじゅん著「マイ仏教」。

別に仏教徒じゃなくても楽しめる内容だと思います。むしろ「みうらじゅん的サブカルチャー」信者に読んでいただきたい。

そして読後の今、みうらじゅん考案「つっこみ如来像」が欲しくてたまらない。

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[ 2011/11/01 00:03 ] 私生活の柄 | TB(0) | CM(0)

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